tyoukyoku's Blog

詩書画を通じて中日間の文化交流を深めたい

現代書メタル

(新生NO.1 閻秉会)


(新生NO.1 閻秉会)



(生滅 閻秉会)

中国天津美術大学閻秉会先生は中国現代水墨と現代書の創始者の一人です。


1980年代末90年代初めごろ、中国の現代書(「偽現代」と呼ばれる評論家もいた)は

まだ象形の段階に留まっていた時に先生の現代書は既に抽象表現の段階に入りました。


日本を代表する書家である井上有一の作品に啓発されたことがありますが、

それをさらに発展して、独自の表現を生み出しました。

「現代書の実力派」と呼ばれ、
その作風は「重、拙、大」と知られ、

見る者に鮮明な印象を残ります。


今回掲載している作品「新生NO.1」、「新生NO.2」、「生滅」等は

抽象的な山水画として見ても
いいと思います。

その構図は「記念碑式」と言えます。

先生の作品から運命と抗争して不屈の精神を読み取ることができるし、

もちろん芸術家の孤独も読み取れます。


「生滅」は「百年の孤独」にとどまらず、「千年の孤独」を表現しています。

作品の中に「十」という記号は目立つで、
抽象画から言えば、

その記号は「万物やあらゆる現象に隠された永遠の秩序」を代表します。

作品を見つめると、魂を揺さぶる程の気魄が感じられます。


芸術は2種類があって、一つは人の目がその楽しさに奪われます。

もう一つは魂がその強い精神力に揺さぶられます。

言うまでもない、閻先生の作品は後者に属します。

天津の書壇にとっては閻先生が欠くことのできない人物と言っても過言ではないと思います。


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スビラックス中国巡回展

週末にスビラックス中国巡回展を見に行きました。
会場内には説明員の方が付いているから、色々説明してくれて大変助かりました。


スビラックス氏(Josep Maria Subirachs, 1927-2014)は

あの有名なサグラダ・ファミリア(日本語に直すと“聖家族”でしょうか。)
の西側に飾られている“受難のファサード”と言う彫刻群を作ったカタルーニャの彫刻家です。

今回の展覧にはその彫刻群の中に代表的な作品を展示しましたが、

ここにはよく知られている「最後の晩餐」(上)と「ユダの裏切り(ユダの接吻)」(下)を取り上げます。

(The Last Supper 版画 2002 )

(The Betrayal of Judas 版画 2004 )



スビラックス氏は1968年からパワーと活力の象徴としての馬をよく作品に取り上げ、

騎士シリーズを作りました。

(Equestrian 版画 2005)

(Coursier 青銅 2006)



西洋芸術家の目から見た中国の「万里の長城」と中国の龍です。


(The Great Wall and Dragon 版画 2005)



メビウスの輪と言うは、帯状の長方形の片方の端を180°ひねり、

他方の端に貼り合わせた形状の図形(曲面)のことです。「無限大」を意味しています。
もともと数学上の概念ですが、芸術においても題材としてよく取り上げます。

(The strip 青銅 1993)


(The ribbon アクリル板 2006)



「Cryptogram」と言う作品は左側の「スビラックス暗号」とメビウスの輪二つの部分からなります。
「スビラックス暗号」はスビラックス氏により考案したものです。
パズルは16個の数字からなります。

色々な方法でこれらの数字を組み合わせして、それを合計するとどちらも33になります。
33と言う数字はイエスの死及び復活の年齢だそうです。


上の「The Betrayal of Judas」には同じパズルが画面に出でいます。

イエスの死を暗示しているそうです。


(Cryptogram  青銅   1998)


 (一部の例です。)



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黄州寒食詩巻ーその3数奇な運命(結び)

黄州寒食詩二首は蘇軾47歳の黄州流罪中(元豊5年・1082年)の春に作られ、
十数年後にその時の所有者である張浩が黄山谷に依頼して跋を書いてもらった。 


時代は南宋になって、寒食帖は張浩の兄弟の孫である張縯に所有され、

張氏は長い跋文を書き、先祖の収蔵物語を記述した。





 時代は宋から元に変わり、寒食帖は張金界奴の収蔵となったが、

その後皇帝内府に入り、元代の文宗皇帝は「天歴之宝」の押角印を寒食帖の左上に押した。 





清代になって乾隆帝のときに再び内府に入り、乾隆帝による跋と「雪堂餘韻」の引首が付いた。

清末の1860年、英仏連合軍が北京に入り円明園を焼き払った際には、危うく難を免れたものの、

再び民間に流出してしまう。帖の下部にある焼け焦げの痕は、このときの騒乱で火災に遭った
ためにできたものだと言われている。 





1922年、日本に渡り、豪商の菊池惺堂が大金をもってこの帖を購入した。

1923年9月、関東大震災が発生し、東京一帯は大火災に見舞われたが、

菊池氏は先祖伝来の収蔵品をことごとく失う中で寒食帖と瀟湘臥遊図巻を救い出し、

焼失を免れた。これら故事については、内藤湖南による跋文にも書かれている。





 黄州寒食詩巻は、第二次世界大戦の東京大空襲にも幸い毀損することなく、

戦後に国民政府の大物政治家であった王世杰によって購入され、

王世杰の子は高価な値で台北國立故宮博物院に売却し、現在に至る。





 中国書史の中で最高の名品の一つである「寒食帖」を引き継ぎの歴史に

内藤湖南氏と菊池惺堂氏二人の日本人も参加者となった。

このエピソードから本詩巻は日本との関係浅からぬものだろう。



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