tyoukyoku's Blog

詩書画を通じて中日間の文化交流を深めたい

黄州寒食詩巻―その2詩と書


【寒食帖 第一首】


自我來黃州 已過三寒食


私が黄州にやって来てから、既に三度目の寒食節が過ぎた。

年年欲惜春 春去不容惜

毎年、過ぎゆく春をいとおしむ気持ちはあっても、春は何の容赦もなく過ぎ去ってしう。

今年又苦雨 兩月秋蕭瑟

今年はその上に雨にさえ苦しめられ、ふた月の間には秋のように侘しいものだった。

臥聞海棠花 泥汙燕支雪

横たわって海棠の花がすでに咲いていると聞いても、えんじや雪のような花びらはむなしく泥にまみれている。闇中偷負去 夜半真有力

あの荘子が言ったように夜の暗闇にまぎれ、大力の男が春をこっそり運んで逃げてしまった。

何殊病少年 病起鬚已白

それは病んでいた若者が癒えて起き上がってみると、すっかり白髪になっていたのと異ならないではないか。


【寒食帖 第二首】

春江欲入戶 雨勢來不已

春の長江は水かさを増して戸口にせまり、雨の勢いはおさまりそうもない。

小屋如漁舟 濛濛水雲裏

この小さな家は漁舟のように、濛々と立ち込めた水煙の中にある。

空庖煮寒菜 破竈焼湿葦

がらんとした台所で粗末な料理を煮ようと、壊れたかまどに湿った葦をくべる。

那知是寒食 但見烏銜紙

今日は寒食節とは知らなかったが、ふと見れば鳥が銭紙を咥えて飛んでいる。

君門深九重 墳墓在萬里

天子の宮門は九重もあってあまりに深く、祖先の墓がある故郷もまた万里の彼方にある。

也擬哭塗窮 死灰吹不起

あの阮籍のように道に行き詰って慟哭しようにも、冷え切った灰は吹いても燃え立たない。


寒食詩2首あわせて120文字が16行にわたって書かれているが、

後半にいくに従い、文字が太く、かつ大きくなり、蘇軾の感情の高ぶりを見てとれる。

最初の「自」こそ、小さくいじけたような書き出しですが、

書き進むにつれ筆遣いは大胆になり、字形は大きく、さらに巨大に、かと思うとすっと身を縮めて小さく、

大小取り混ぜて自由闊達に展開していきます。

「年」・「中」・「葦」・「帋」の字の収筆に至ってはことさらに長く引き下ろして余裕とけれん味さえ見せています。

それらが次々に、見る者の意表を突きながら展開していきます。

また「何殊病少年,病起鬚已白」の中に「病」の追記、「子」の修正点などは見る者にとって、

今まさに書作の現場に作者と一緒に考え、修正しているという感覚を与えてくれます。



【黃庭堅の跋(部分)】

『詩巻』には黃庭堅の跋文がつけられ、

『……東坡のこの書は顔魯公、楊少師、李西台の筆法の特色を具えている。
東坡にもう一度書かせても、これほどには書けないだろう。……』と評価しています。

蘇東坡の書風とはまったく違っているが、一緒に並べお互いに照り輝いて、

宋の四大家のうち二大巨匠が揃いぶみこともこの寒食帖の凄いところだと思います。


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